獣医ドリトルが終っても・・・これが鳥取獣医のリアルな生活

安楽死ってできるんでしょうか・・・・・?

直接、安楽死という言葉を出す人はほとんどいない。だが、助けられる治療法がない場合、薬をつかって・・・・とか苦しまないように処置を・・・・とかを希望される方は意外に多い。ドタバタしていたつい最近もあった。

私は、「お薬を使って眠らせてあげる処置」とか、って言うようになってしまっているが、それが正しいかどうかはわからない。

欧米ではイヌとヒトは昔からつながりが深く、使役犬として、パートナーとして歴史が古いせいもあるだろう、安楽死っていう考え方は割と自然なようで、苦しんでいて、治療できないなら、楽にしてあげてくれ、ということが多いようである。

日本人はどちらかというと、イヌと暮らしてきた歴史が浅いためか、コンパニオン(「伴侶」そっちのコンパニオンじゃないのであしからず)アニマル、というよりはやはり「愛玩」動物(猫っかわいがる感じ?)というイメージのほうがあっている感じがして、子供のようにというよりは孫?のようなかわいがり方をする気がする。

 そのため、安楽「死」っていう考え方にはなりにくいように思う。その心は、パートナーとして相手の気持ちを考えるのではなく、ただ、自分勝手にというか、、、

自分がかわいがりたいからかわいがるので、相手の心をあまり考慮するわけではなく、生きていてほしい、死なないでほしいので、相手が苦しがっているのが見えなければ、積極的に薬で死なしてしまうというふうにはなりにくい?のではないか?なんと言っていい川からないけど、国民性として(怖い言い方をすれば)「殺す」のは絶対悪で、苦しくても生きなさい、「物の怪姫」のテーマじゃないが、「生きろ」ということで、安楽死は受け入れられにくい・・・のでは?と思っていた。

でも、意外とかわいそうなんで、そうゆう方法ってできるんですか?先生は処置をやってくれますか?ときかれることは多い。

 獣医ドリトルのように、手術して治せればいいけど、、、

そうもいかない病気のほうが多い。癌があちこちに転移していて、お腹で出血しまくっていて状態も悪く立ち上がることができない、そして回復の見込みはないとか、気管挿管をした状態で補助呼吸がないと生きていけない状態で、回復の見込みがほぼないといえる高齢のわんちゃんとか、骨肉腫が肺に転移して呼吸も苦しく、治るる見込みがないとかの場合にはあくまでも選択肢の一つとして―――ではあるが、提示することはある。

 オーナー様のほうからの提案があることもある。クライアント側、獣医師側両方からの意見や選択肢を出して相談してどうして行くか決めるインフォームドコンセントの上で安楽死の処置が行われることはある。

 獣医鳥取(どりとる)は感動するし、好きなので批判をするわけではないんだけど、実際のリアルな鳥取(大学出身)獣医から言わせてもらうとが、実際はとんでもない獣医師ともいえる。

インフォームドコンセントはできてないし、クライアントに対して「お前は」なんて間違ってもいっちゃあいけない、口下手なんだろうけど、クライアントさんに動物の状態を理解してもらって納得してもらったうえで手術をすべきだとは思う。実は金額はそんなに法外ではない。あれだけの技術や、(手術室の設備はすごい)設備のあるところでの手術なら、結構妥当かもしれない。(正直、半額ぐらいが相場かな・・・?)

「獣医はビジネスだ」

だったら、サービスに力入れろよー

どっちかっていうと獣医師はというか動物病院は「サービス業だ」って面はある。

でも、やっぱり、命を助けるために、がんばりたい。できれば安楽死はしたくない。

てのが本音かな。

動物たちの命を助けたくて獣医になったのに、逆のことをするのは本意ではない。

しかし、獣医師の仕事はどちらかというと、逆のことをすることも多い。

ブラックジャックの師匠の先生が(本間先生)生物の生死をどうこうするのはおこがましいとはおもわんかね・・・というようなことをいっていたが、まさしく、生き物を生かしたり、生きているのをとめたり。そうゆう神様のようなことをする仕事ではある。

それができてしまうだけに、すごく恐ろしい仕事でもある。

僕は週5日犬猫の獣医師として勤務しているが、(正直激務。精神的にも肉体的にも。でも限界を自分で決めずに頑張れ!っていわれる。弱音をブログでは吐かせてね)

残りは人間の医科大学で研究もやっている。そこでは当然動物実験をする機会もある。

最悪と思う方もいるだろう。でも、今の医学のほとんどは動物実験のおかげで薬や医療器の開発はすすんでいて、否定したくてもできないのが現実だ。当然自分も動物実験なんて最悪だと思って獣医学科に入った。

 浪人時代(私は1年浪人している。)塾が休みで図書館で勉強していると動物実験反対運動をやっているヒトがポスターを貼っていた。それをみて、ひどいことやってるな、と思った。大学時代は(たしか伴侶動物のサークル活動の一環で)動物実験反対運動をやっている方と接触し話を聞いたこともあった。動物実験がひどい形で行われていることはあるかもしれない。それは良くない。だが、動物実験をやっていなければ、薬の安全性などは調べることができないし、今の医学は発展していないだろう。反対運動の人は私は菜食主義者です。といっていたが、もしすべての動物実験に反対するなら、薬も使わない、肉も食べない、動物実験から得られた知識も使わないで生きていっていないと、矛盾が生じてしまう。だから現実的ではない。と思う。

 昔の動物実験はもっと残虐なものもあったかもしれないが、今は制度ができてきていて、倫理委員会を通さなきゃいけないし、できるだけ数を少なくしなければいけないし、痛みをできるだけ少なくしなければいけないし、少しずつまともな実験をする方向に動いてきている。牛や豚を食べるのと同様、自分たちの糧としていき、きっちりとした制度のもとやる分には仕方ないのではないか、とおもう。だができるだけ少なくできるようになるといいと思うので、自分は積極的にその世界にはいり、今はまだ遠いけれど、もしかしたら、動物実験を少なくできるかも知れない研究も自分はやっている。もう少し待っていてほしい。

 さて、大学時代も当然動物実験は行われた。解剖の授業や、研究室での実験である。

元気な動物たちを安楽殺しなければならない

(僕はどちらかというと安楽死というよりも安楽殺のほうが正しいと思う、だって実際には命を奪うのだもの。安楽死というと聞こえはいいし自分たちが責任を逃れたいいかたである気がする。獣医師が責任を持ってその子の命を奪うのだから、僕らからすると安楽殺といって、自分が罪の意識を感じながら処置するのが正しいと思う。でも、「殺」を使うのは心の中だけですが。自分はそうゆうつもりで処置している。だから精神的にはすごく辛い。次の日はだいたい胃が荒れて吐き気がする。みんなには見せないように空元気を装う。)

みんな嫌がるが、中途半端が一番苦しむので一気に行く。安楽「殺」にもいろんな考えからいろんな方法がある。小さなマウス(20日ねずみ)なら頚椎脱臼とういう恐ろしい方法も安楽殺のひとつである。つまり、首を折るのだ。一瞬なので、苦しくない、とういう理論である。

他には、深麻酔という方法である。麻酔薬を大量に入れて、眠ったようになくなる方法である。たぶん、これが一番苦しくない。麻酔がかかると(自分もかかったことがあるが)眠くなり、意識がなくなる。無意識の状態で呼吸や心臓が止まるのはおそらく苦しくない。

苦しいのは窒息死だ。なので、呼吸器系の病気で治療ができない場合は安楽死は選択にはいる。

今、日本の保健所(動物愛護センターに名前が変わってきたところもあるが)では多くは二酸化炭素の吸入によって保護犬や猫を大量に処分(この言い方は実は正式)していて、これは実は苦しい方法だと思われる。ただ、これで保健所や愛護センターの獣医師(獣医さんたちはここでも働いているのだ)を責めないでほしい。基本的には獣医師は動物は好きでない(現実には好きでいたら気が変になってしまうから)というかもしれないけど動物が嫌いな人なんていない。もともとはだいたい動物好きである。これをみるのはすごく辛いらしい。だったら、深麻酔で。と思うかもしれないが、それは非現実的だ。何頭いるとおもってるの?って話で。もし、捨てイヌネコがもっと減れば、可能かもしれない。が、それは僕たち、みんなの努力だと思う。

 さて、また仕事、がんばりますか。