蒸し蒸し暑いときはアイスを・・・・
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僕は
クラウンの後部座席に座って
アイスを食べていた。
車の中は涼しく、シートはふわふわだった。
運転手さんが車を運転している。
贅沢だ。
この上ない贅沢だ。
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日本人が、ここインドネシアに来ると
みんな金持ちになる。
物価が大きく違うためだ。
20年以上前のことだ。
今はどうか知らない。
当時、海外の駐在員となった日本人の家族は
運転手さんやお手伝いさんを雇うのが通常だった。
なんだかそれが規則のようなことを聞いた。
雇用の増進のためなのか、安全性のタメなのか。
日本人が国際免許をとって運転することもできるのだが
日本人だけで運転していると、強盗に襲われたり、
という事件がたくさん起きているという話も聞いた。
東南アジアの諸国は当時は比較的日本に好意的であるふうに聞いていた。
色々な企業が技術移転や資金援助などをしていたのと、
欧米諸国以外でアジア人として高度経済成長を遂げた日本を
欧米よりは好意的に捉えていた人が多いようだ。
もちろん、占領していた時代もあるので、よく思っていなかったりする人は
いるし、日本人はお金持ちというレッテルが貼られているので
妬まれているような視線は小さいながら感じることはあった。
もちろん、そうゆう生活をしているから、仕方ない。
ただ、小学生の低学年だった私には
外国はおそろしいものだった。
当時の一般的な社宅住まいだった自分にとって、
家が広いのは驚きだった。
僕にとっては番犬ではあるが犬を飼っていたり、
猫を飼うことができるのは嬉しいことだった。
昔から飼いたいと思っていたが、
社宅では飼えないと言われていたので
欲しいとはいえなかった。
それ以外については怖いと思っていたし、
実際に外は危険だった。
金持ちと思われている日本人の子供は一人で歩いていたら
連れ去られ、身代金を要求されたりしてしまう恐れがあった。
家の門は厳しく、壁の上には鉄条網が敷かれていた。
僕はいつもそれをみて、家は広いが、自由ではないように感じ、
籠の中の鳥のように思っていた。外は怖い世界だと思っていた。
南米と比べて人々は温和で、銃声がしょっちゅう聞こえることはないが
貧富の差は激しく、貧しい人々は本当に貧しい。
職をもっている運転手さんや、女中さんは普通以上のようにみえた。
また、女中さんたちは稼ぎの一部を田舎の実家に送っているようだった。
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僕はクラウンに後部座席でアイスを食べていた。
車が信号で留まる。
窓から太鼓の音が聞こえてくる。
物乞いで信号待ちの車にお金をくれと
太鼓を叩いたり、お願いーとしてきたり。
でもそこには窓で隔てられ、
そこには大きな差があるように思えた。
太鼓を叩いているのは
当時の自分より小さい子供だった。
彫りの深い顔に大きな眼で歌いながら太鼓を叩いていた。
よく見ると、
足が片方無い。
聞いたことがある。
こうゆう子達はこれが仕事である。
太鼓を叩き、信号待ちの車からお金をもらい、
それを親に取られ、
親から食事をもらい、生きている。
その子がどうかわからないが、
より同情を誘うために、親に足を切られたりすることもあるとか。
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当時は窓のこちら側でよかった、と思うしかなかった。
また、いまは人の親となり、そんな子供が世界にはたくさんいるのだ、
日本人はなんて幸せなんだろう、色々なことを考えてしまう。
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アイスがなくなった。
車はさらにすすむ。
綺麗な銅像のあるロータリーをこえ、
車は進んでいく。
車内は涼しい。
窓から僕の眼に飛び込んできたのは、、、
一匹の大きな犬だ。
道の中央分離帯に倒れている。
陰嚢がみえたので、
小学生の僕も雄だということはわかった。
交通事故にあったのだろうか
全く動かない。
たぶん、亡くなっていたのだろう。
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周りに人はいるが、
誰も振り向かない。
みんなそんな余裕がないのだろう。
犬は、ずっとそのままだった。
僕を乗せた車は、
スーと通り過ぎていった。。。
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夢か・・・・・
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随分昔の夢をみたもんだ。
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その時の思いを忘れるな、ということがもな。。。
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さて、今日も仕事だ。
頑張るか。
俺は、起き上がった。